(1)「科学的正しさ」とはなにか?

ギリシア神話では、カラスは白い羽根を持っていたが、アポロンの怒りを買って黒くなってしまったという。 (stable diffusionで生成 model: 7th anime v3/ prompt: greek god standing by crows with white wings)

ここでは、確率・統計の話を始める前に、その根底にある自分の問題意識について書きます。

最初は「科学的知識」が<正しい>と認められる条件とはなにか?ということです。

事実から科学的法則を証明する、とは?

素朴な科学観として次のようなものを提示してみます。

素朴な科学観

(1)基本的な命題(原理・法則)は、観測された事実から証明される。

(2)その証明された命題から、論理的に導かれたものが「真なるもの」である。

(3)それらを土台にして物事の間の「因果関係」を明らかにする

これをみて、科学とはこういうもの、と納得できるでしょうか?できる人とできない人がいるでしょうが、とりあえず、これについて考えてみます。

(2)について考えるのが論理学で、すでに正しいと判定された事柄の表現方法や、それらの関係いわゆる論理的推論が問題になります。

また(3)の因果関係は、論理的な関係とは時間的な前後関係を含むという意味で別の概念です。「因果」というものもまた、ながらく哲学の対象として議論されてきたものですし、統計と因果関係というのも大きな問題です。これについてはこのシリーズの後半で考えていきたいと思っています。

ここでは(1)のついて少し掘り下げてみたいと思います。

まず、そもそもの「観測された事実」ということに潜む問題がいくつかあります。観測が間違っている可能性(可謬性)は否定できませんし、なにをもって正しい観測であるか、なにを「見た」のか、ということが論争の対象となる場合もあります。

数値的な測定を例に取ると、たとえば「質量」を測るには質量の定義が必要であり、それ自体が理論に依存しています。

また、医学生や医師の方たちは、胸部X線写真をみたときに初学者のころといろいろと学んだあとでは、そこに見出すものが多く違うということを実感しているでしょう。つまり、人が認識する際にはもともとその人が持っている背景知識が大きく影響しているわけです。そうなると、理論に先立って事実がある、とはいいづらくなります。

こうした観測を巡る問題についてはひとまず置いておきます。以下では「命題を事実によって証明する」とはどういうことか?という方を考えてみたいと思います。

たとえば、次のような命題を考えます。

命題1

すべてのカラスは黒い

こういった「すべての◯◯は・・・」の形の命題を全称命題といいますが、これはどうやれば証明できるでしょうか?

たとえば、黒いカラスを1羽連れてきたところで、この命題1の証明になるでしょうか?

ならないですね。これは「黒いカラスが1羽いる」ということで「単称命題」といいます。

では、10羽なら?1000羽なら?証明になるでしょうか?

いくら個別の実例をもってきたところで、こうした「全称命題」の証明にはなりません。つまり、科学的な知識のような「全称命題」にあたるものを、「事実に基づいて証明する」というのはそんなに簡単なことではありません。

反証主義

では逆に、白いカラスが発見されたらどうでしょうか?

この場合は、命題1は否定されます。このことから、次のようなことが言えます。

反証

全称命題は事実によって証明できないが、反例によって否定する、つまり反証はできる。

これから生まれたのが「反証主義」です。

反証主義

科学理論は反証可能である必要があり、かつ反証されていない命題が正しい命題である

これはカール・ポパーたちが組み立てた議論です。反証できないようなものは科学理論とはいえず、その反証によるテストに生き残ってきたものが正しい科学理論である、という主張です。反証主義においては、新しい科学理論の価値を、それまでの理論では説明できない新しいものごとを説明でき、なおかつ反証のテストによって否定されていないことで測ります。そういう意味では、科学理論の進歩に重きを置いた議論であると言えます。

しかし、これはあまりにも後ろ向きではないか?という批判もあります。つまり、積極的に「証明した」とは言えないのに、「正しい」と言ってしまっていいのか、ということです。

これ以外にも反証主義には弱点があります。それは科学の歴史に即していない、ということです。実際に反例がみつかっても、ほとんどの科学理論はそれに対応するような修正を付け加えて延命されることが多いのです。

たとえば、ニュートンの万有引力の法則は惑星の運動を説明しましたが、観測精度が上がるとさまざまなズレが生じてきます。とくに天王星の軌道が予測とズレてしまうことが問題になりましたが、それでニュートンの理論が否定されたわけではなく、これは「未発見の惑星の重力の影響だろう」と考えられました。その後、実際に新たな惑星が発見され、これが海王星と命名されたわけです。ここでは、理論ではなく観測が不十分と考えられたのでした。

一方、水星の軌道が時間とともにズレていく現象(近日点移動)についても、未発見の天体の影響が考えられました。しかし後にこれは一般相対性理論によって説明されることになり、こちらはニュートン理論の反証となりました。

生物にはアルビノとして知られる色素を欠く個体が存在することが知られています。カラスにそういった例があるのかは知りませんが、白いカラスが発見されたからと言ってすぐに「カラスは黒い」という常識的判断が覆ることにはならないでしょう。

このように、反例がみつかったからと言って、即座にその理論体系が否定されるわけではなく、それは解決すべき問題とされて、それに対応するように理論の修正が積み重ねられていくことが多いのです。

統計的判定

ここでは、こうした科学哲学の議論に深入りすることはしませんが、「事実をもって証明する」ということがそんなに自明なことではない、ということは理解していただけたでしょうか?

こうした困難が生じる理由として、ある命題が真か偽かということを0か1かで判断するところにあると思われます。そこで、1(真)と0(偽)の間を取る「蓋然性」を表す数値として確率を考えることがこの問題を回避する方法として考えられます。そうすると問題は、

n羽のカラスを集めたらすべて黒かった。では、カラスが黒いと判断できる強さはどれくらいか?

という形に書き換えることができるでしょう。

ただし、これも簡単なことではありません。確率論や統計は、厳密な「法則」や「因果関係」を重んじる人たちからさまざまな批判を受けてきたのも歴史的事実です。そうしたことを踏まえつつ、統計を用いて考えるということはどういうことなのか、ということについて考えていければと思います。

最後に、今回の話題についてもっと知りたいという方には次の本をお勧めしておきます。

ここで挙げた反証主義や、それに対するさまざまな科学論、ベイズ主義についても書かれた本です。