1-1 相対論はどのようにして生まれたか?

2023年12月18日

相対論がはじめて世に問われたのは1905年のことです。19世紀末から20世紀初頭にかけて、相対論と量子力学という、2つの大きな変化が物理学にもたらされます。この章では、相対論が生まれた背景として、当時の物理学が直面していた大きな課題と、それに対してどのようにアインシュタインが答えを出そうとしたのか、ということについて簡単にみることにしたいと思います。

20世紀初頭の物理学に立ちはだかった壁

19世紀の物理学は、電磁気学と熱力学の発展によって特徴付けられます。電磁気学は、一方で電流や電磁誘導といった電気回路や静電気・磁場に対する理解の側面と、もう一方での電気分解や分極、陰極線の発見といった物質の性質に関わる側面の両面で発展しました。これらの結果は、マクスウェルによる電磁気理論に結実し、それはさらにヘルムホルツ、ヘルツ、ローレンツらよって整備されていくことになります。一方の熱力学は、熱と仕事・エネルギーの関係、クラウジウスによるエントロピー概念の導入、そしてボルツマンによる気体分子運動論の展開という形で発展しました。とくに、さまざまな物理現象に共通する概念として「エネルギー」が考え出され、整備されていったのもこの時期になります。これらの発展は、当時の産業革命による要請と、実験・観測手段の飛躍的向上、科学的・技術的な研究体制の進歩といったものに支えられたものでした。

光は、物理学において常に研究の対象とされてきたもののひとつです。光についての理解も飛躍的にすすみました。とくに、マクスウェル理論からの電磁波の予言と、ヘルツの実験における電磁波の観測によって、光を電磁波として捉える考え方が一定の成功を収めることになります。

ところが、このような発展を支えた19世紀の産業革命ですが、さまざまな現象の発見や実用的要請は、物理学を発展させるだけでなく、その重大な矛盾・限界点をも明らかにしました。

一つは光と電磁気学にまつわって現れました。それは、光の観測における観測者自身の「運動」の効果についてです。たとえば、時速 $100 \km$ の車を時速 \( 50\km \) の車で追いかければ、その差は時速$50\km$ という単純な引き算が成立します。しかし、光の速度の観測には、たとえば地球の自転や公転といった効果はなんら現れないように思えました。同じような問題として、電磁気現象が物体の「相対的な運動」にのみ依存し、それぞれがどう運動しているかには関わらないということもまた問題でした。もし、光が電磁気現象として理解できるならば、光の観測についても相対的な運動のみが現れるはずです。

もう一つの矛盾は、光と熱力学に関する問題として現れました。熱された物体は、その温度で決まった色の光を放出します。これは普通に見える色とは関係なく決まるので「黒体輻射」といわれ、たとえば溶鉱炉のなかで熱せられた鋼鉄の温度をどう測るか、といった問題に直結します。この温度と色(光の波長)との関係を、当時の熱力学と電磁気学から導き出そうとすると実験結果と合わないどころか、無限大の発散を含んでしまうことになります。ここでは、物体が電磁波を放出する機構について、マクスウェルの理論が十分でないことが示唆されます。(この問題は主に量子力学と関連するものなので、ここでは扱いません)

このような物理学の直面する困難に関して、前者に関してはローレンツ・ポアンカレの電子論が、後者に関してはプランクの量子論が解決の方向性を示そうとしていました。そのような中で、1905年アインシュタインによる3つの論文が発表されることになります。

1905年:アインシュタインの3つの論文

アインシュタインは、1905年に以下の3つの論文を発表しました。(リンク先はドイツ語原論文です)

1つ目が、光量子仮説に関する論文、2つ目がブラウン運動に関する論文、3つ目が相対論に関する論文です。

論者によっては、これら3つの論文を関連しつつも独立な3つの業績という場合もありますが、私はこれら3つの論文がアインシュタインの中で密接な関係を持っていたと考えます。

マクスウェルの電磁気理論は電磁波の存在を予言し、その放出や吸収についても一定の結果を出します。しかし光量子仮説は、光の放出・吸収過程について、マクスウェルの理論には不十分な点があることを示唆します。アインシュタイン以前にこれらの問題に取り組んでいたローレンツ・ポアンカレらは、あくまでマクスウェルの理論に合わせたモデルを構築しようとしていました。しかし、アインシュタインはマクスウェル理論そのものではなく、よりシンプルな「光速度不変の原理」を理論の根幹にすえました。そこには、電磁気学の方程式は暫定的な知識であるという認識があったのではないでしょうか。

また、2つ目のブラウン運動の研究も、当時まだ十分受け入れられていなかった分子論と熱の統計理論の有効性を示すことで、粒子的な世界観とそれに基づく統計的な手法が物理学にとって普遍的な方法論となることを示したかったように思えます。ここには、光量子仮説によるプランク分布の説明しかり、後に光を「光子気体」として論じる相対論の議論しかり、アインシュタインの思考方法に通呈するものがあると思います。

よく見かける相対論に関する説明に、「マクスウェル理論を不変にする理論として作られた」というものがあります。確かに、アインシュタインの著書(たとえば「特殊および一般相対性理論」)では、「相対性理論は電気力学と光学から生まれ育ったものである」などの記述があり、相対性理論の構築においてマクスウェル理論の果たした役割が繰り返し強調されています。しかし、実際の相対性理論における議論の運びにおいて、ローレンツ変換を導出する際にはマクスウェル方程式を用いず、ただ光が一定の速度ですすむということしか用いていません。

ここに、ローレンツら先駆者たちに対するアインシュタインの独自性・革命性があるように思います。ローレンツの電子論は、マクスウェル方程式を出発点として、それと電磁気現象の相対性や光学現象に関する実験結果を矛盾なくつなぐような「電子モデル」を作ることにその目的がありました。しかし、アインシュタインはいくつかの光に関する知見から、マクスウェル方程式が不十分であるという認識をもっていたのです。その結果、マクスウェル方程式ではなく、「光の速度はいかなる慣性系から見ても一定である」ということを出発点として選んだのではないでしょうか。ここには重大な論理関係の転回が存在します。これについては次の章で詳しく検討しますが、そこには実験結果と物理学の諸概念、双方に対してどう向き合うか、という問題があるように思います。

歴史的にいって、マクスウェルの電磁気理論なくして相対論の誕生はなかったでしょう。しかし、相対論を理論的に組み立てるに当たっては、マクスウェルの方程式は必須ではありません。アインシュタインには、すでに光量子仮説などを通して、マクスウェル理論の限界も見えていたでしょう。彼は相対性理論を作り上げたのち、電磁場と重力場の統一理論を追い求めました。つまりは、マクスウェルの理論もなんらかの変更を加えるべきものという認識があったはずです。現代の目から見れば、マクスウェルの方程式は非量子論的な極限で成り立つものです。一方、現代物理学において、方程式がローレンツ変換に対する不変性=光速度不変の原理を満たすことは、基本方程式の持つべき性質として常に要求される、根本的な指導原理となっています。相対性理論の諸原理は、物理学におけるもっとも深いレベルの法則のひとつだといえると思います。

少し論点を先取りしすぎてしまったかもしれません。この文章全体の構成としても、ここでの議論を踏まえた構成にしてありますので、このあとも何度かこの問題に立ち返ってくることになると思います。

物理学における2つの潮流

物事を二分法で考えることは現実をうまく反映しない面もありますが、状況を整理する上では一定程度有効でしょう。そこで、近代以降の物理学がテーマにしてきた論点3つについて触れておきたいと思います。

まず、世の中がどのように作られているのか、ということに関して、粒子的世界観と連続体的世界観があります。世界が分割不可能な構成要素からなる、という考え方はギリシア時代にまで遡りますが、だからといってそういった原子論的な世界観が常に支配していたわけではありません。むしろ歴史的に言えば、世界は連続的で、水や空気のように空間は満たされているという考え方が支配的な時期の方が長かったともいえるでしょう。19世紀になっても、たとえばマクスウェルにおける電磁気理論は連続体的な世界観に近く、電荷や電流は電磁気現象にともなって現れる連続的な存在とされました(その名残が電束密度や変位電流といった概念に残っています)。一方、化学における原子・分子の概念の発達や、陰極線の発見に端を発する電子の発見は、粒子的世界観を復活させました。電気が微小な単位(この電荷の最小単位を素電荷といいます)をもつという認識は、電荷の担い手が流体でなく何らかの粒子であるということを示唆します。そして、荷電粒子とその間に働く力として電磁気現象を捉えるという、粒子論的な世界観にたったローレンツの電子理論が現れてくることにつながります。近代的な原子論・分子論は18世紀ごろからありましたが、20世紀に入ってもなお、分子の実在は疑われていました。アインシュタインのブラウン運動の理論などは、分子の実在性に関しての大きな後押しという意味もあったのです。

次の論点は、力(作用)の近接論と遠隔論です。アリストテレスの時代においては、力(「力」といってもガリレイ以降の力の概念とは異なる。ここでは物体の運動に関わる何かしらの「原因」としての力を指します)として物体を直接押したり引いたりするものが考えられました。当時はまだ力=運動の原因(近代の物理学は力は運動そのものではなく、運動の<変化>の原因とする点に大きな違いがあります)と考えられており、投げられた物体が飛び続けるのは空気によって後ろから押されるからである、などと考えられてきました。これを転換したのはガリレイでしたが、その際ガリレイは重力が物体に及ぶ機構、何に押されたり引かれたりしているのか、ということを問題にしませんでした。ニュートンの万有引力の法則も、太陽と惑星など、大きく隔たったものの間に働く力として考えられました。ここには空間を超えてはたらく力という見方があります。どのように力が伝わるのか、ということには目をつぶって、物体間に力が働いているという現象面に焦点を当てたところに、ガリレイやニュートンの成功があったともいえるでしょう。一方、デカルトなどは機械論的に物体間をどのように力が伝わるのかを問題にしました。空間を満たす歯車の集合体のようなものを考え、万有引力が伝わるモデルを考えたりしましたが、これはうまくいきませんでした。19世紀の電磁気学に関して言えば、マクスウェルの電磁気理論は近接作用論的であり、ヘルムホルツのポテンシャル理論などは遠隔作用的な構成になっているといえるでしょう。粒子的世界観に立てば、粒子と粒子の間には空虚があり、そこを超えて力が働くという遠隔作用論が採用されることになります。一方、連続体的世界観においては、その連続体を伝わる力という形で近接作用論が採られるわけです。

さらにこれと関連して、光の粒子説と波動説があります。光の正体が粒子なのか波動なのか、ということは物理学において長らく論争の的でした。それはもちろん、粒子論と連続体論の世界観の違いに関連しています。世界が粒子で作られているならば光も粒子であるべきだと考えるでしょう。一方、世界がなにか連続的なもので満たされているならば、それを伝わっていく波動として光を考えることができます。ホイヘンスによる光の波動説によるさまざまな現象の説明と、電磁波としての光の説明によって、一時は波動説がかなり有力視されました。しかし、光量子論は波動説の限界を示唆し、粒子論的な側面を予感させるものでした。

もちろん、これらの二分法は絶対的なものではありません。面白い例として、いまでは光の波動性の例として挙げられる「ニュートン・リング」の実験があります。当のニュートンは粒子説の中心人物であり、この実験もニュートンにとっては粒子説の証拠として使われました。ある実験、人物ないし理論を、どちらか一方に帰属させることには無理があります。しかし、物理学の議論がどのような世界観に立脚して立てられているのかということを理解する上で、こういった二分法で考えることは重要な指針にはなると思われます。

20世紀初頭に現れた相対論と量子論は、これら2つの潮流における論争の中から生まれた、それらの矛盾を乗り越える理論として位置づけらると言えるでしょう。相対論は世界を満たす連続体としてのエーテルを否定しました。しかしその一方で、光の速さが有限でありそれを超えることができないという帰結は、無限の空間を飛び越えて瞬時に伝わる遠隔作用も否定します。けっきょく、量子論において粒子説と波動説は統一されることになります。そして場の量子論は、相対論的な因果律を満たす近接作用論として構築されていくことになるのです。

この節のまとめ
  • 19世紀末の物理学はいくつかの困難に直面していた。一つは光速度に関してであり、もう一つは光の放出・吸収過程についてである。
  • 電磁気学と光学現象の相対性から、相対性理論は生まれた。
  • 相対論の理論構築に、マクスウェル方程式は必須ではない。
  • 物理学は3つの対立軸を持つ(「粒子vs連続」「遠隔vs近接」「光の粒子論vs波動論」)
  • 量子論と相対論は、これらの矛盾を統一的に理解する理論体系である。

参考文献

今回紹介した3つの原論文の日本語訳は次の本で読めます。興味のある方は読んでみてはいかがでしょうか?

また、ここでの歴史的記述については以下の本が参考になります。

物理,特殊相対論

Posted by KayTea